江戸時代に花粉症はあったのか?
2026.02.25常盤傑医師
-- 春の宿敵の、少し意外な歴史 --
春になると、鼻がむずむずし、目がかゆくなる。
いまや日本人の約4割ともいわれる花粉症ですが、ふと疑問が湧きます。江戸時代の人々も、同じように春をつらく過ごしていたのでしょうか。
日本で花粉症が医学的に正式報告されたのは1960年代です。栃木県日光地方のブタクサ花粉症が最初の記録とされ、その後スギ花粉症が知られるようになりました。
しかしこれは、「それ以前には存在しなかった」という意味ではありません。アレルギーという概念が一般化する以前は、花粉による鼻や目の症状が独立した疾患として整理されていなかった、というのがより正確な理解です。
江戸時代に花粉症患者が多数存在したという記録は、ほとんど残っていません。ただし、記録がないことと存在しなかったこととは同義ではありません。少なかった可能性が指摘される理由として、いくつかの要因が考えられています。
現在、日本の国土の約12%を占めるスギ人工林の多くは、戦後の高度経済成長期に建材需要を背景として大規模に植林されたものです。江戸時代にも植林はありましたが、現代ほど広範囲ではなく、花粉飛散量が現在ほど多くなかった可能性は十分に考えられます。
「衛生仮説」という考え方があります。過度に清潔な環境では免疫が過敏になりやすいという理論です。江戸時代は寄生虫や多様な微生物と共存する生活であり、こうした環境が免疫の反応性に影響していた可能性は否定できません。もっとも、これはあくまで一つの仮説であり、「不衛生だから花粉症が少なかった」と単純に結論づけることはできません。
花粉症という名称はなくとも、鼻水やくしゃみに悩む人々は確実に存在していました。当時の医書には「鼻淵(びえん)」や「鼻流(びりゅう)」といった記載があります。
「鼻淵」は膿性鼻漏を伴う病態で現代の副鼻腔炎に近く、「鼻流」は現代の慢性鼻炎に近い概念と考えられています。現代の花粉症と完全に一致するものではありませんが、春先の鼻症状に苦しんでいた人々が存在したことは想像に難くありません。
モクレン科植物の蕾を主成分とした漢方処方で、鼻閉改善を目的に用いられてきました。千年以上の歴史を持ち、現在も慢性副鼻腔炎や鼻炎の補助療法として使用されることがあります。江戸から現代へ、脈々と受け継がれてきた処方です。
鼻の横にある「迎香(げいこう)」などのツボへの施術が行われていました。「迎香」とはまさに「香りを迎える=嗅覚を改善する」という意味のツボです。近年も補助療法としての有効性が研究されており、あながち根拠のない治療ではなかったようです。
薬草を燃やし、その煙を鼻から吸入する方法です。消炎・殺菌効果を期待した治療でしたが、現代医学的には推奨されません。それでも当時の医者たちが症状に向き合い、工夫を重ねていたことは確かです。
欧米では1819年にイギリスの医師ジョン・ボストックが「hay fever(枯草熱)」を記述し、1873年にはチャールズ・ブラックリーが花粉を原因と医学的に証明しました。一方、日本でアレルギーという概念が広く普及するのはさらに後のことです。
戦前の人々が春にくしゃみをしていても、それは「体質」や「風邪の一種」として扱われていた可能性が高く、近代医学が病態を整理するまで「花粉症」という疾患概念は成立していませんでした。
現在では治療選択肢は大きく広がっています。
なかでも舌下免疫療法は、症状を一時的に抑えるだけでなく、長期寛解や症状軽減という根本的な改善を期待できる数少ない治療です。保険適用で受けられる点も、多くの方にとって大きなメリットです。
戦後の大規模植林政策、都市化による生活環境の変化、衛生環境の劇的な改善----花粉症の急増は、こうした現代社会の変化と無関係ではないと考えられています。
江戸時代の人々がこの症状にどの程度悩まされていたかは定かではありません。しかし現代には、当時には存在しなかった科学的根拠に基づく治療があります。
春を「ただ我慢する季節」にする必要はありません。適切な診断と治療により、生活の質は大きく改善する可能性があります。
医学は、確実に進歩しています。

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| 2006年3月 | 岩手医科大学 卒業 |
|---|---|
| 2006年4月 | 岩手医科大学医学部泌尿器科学講座入局 |
| 2010年4月 | 岩手県立釜石病院泌尿器科 |
| 2011年4月 | 北上済生会病院泌尿器科 |
| 2012年4月 | 岩手医科大学医学部泌尿器科学講座 助教 |
| 2014年4月 | ときわ会常磐病院 |
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